熊日通潤橋マラソン
毎年11月開催

【【 熊日通潤橋マラソン公式 HP 】】
大会開催要項 (ランナーズHP大会ガイド)
矢部観光案内 (矢部町役場 HP)
リクルート【宇土・益城】 見る情報遊ぶ情報

矢部町の紹介

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IMG_0733.jpg 上益城郡・矢部町
         ~ 自然に溶け込み自然と一体化した潤いある石橋の里 ~

●矢部町の歴史と伝統 : 武士が貴族をおさえて政治を動かすようになった鎌倉時代初期、勢力拡大を図っていた阿蘇氏の大宮司の本拠地「浜の館」が現在の矢部町付近に設置され、文化の里を形作った。これが矢部町の歴史の始まりとも言える。江戸時代には日向街道の宿場町として栄えた。
 山々に囲まれ、平地の少ないこの地方の人々の暮らしは決して裕福なものではなかった。田畑を耕せる少ない土地も広大な阿蘇山の山裾にあたる水はけのいい貯水しにくい地質のため収穫は安定しなかった。水を引こうにも流れる川が谷を深く深く削り取り、それを阻んだ。水を放水する姿で有名な通潤橋は人が渡るために架けられたのではなく、水の届かない土地の田畑に水を送るために架けられたものだ。多くの人々の暮らしに関わる、命懸けてで造った石橋だった。数多くの難題を創意と工夫で次々と解決し、この悲願の石橋は1854年に完成した。惣庄屋の布田保之助の情熱と肥後の石工達の高度な技術のもとに、矢部郷の農民達の献身的労働力が加わり成し遂げられた大事業だった。当時この技術は高く評価され、東京日本橋はじめ日本各地の橋造りへと波及した。
 熊本城の石垣に始まったとされる肥後の石工技術は石橋以外にも、棚田や用水路などにも活用されこの地方の生活を潤してきた。今矢部町では、先人が残した数々の文化や宝と山の豊かな自然を守りながら潤いあふれる癒しの古里づくりに取り組んでいる。

●矢部町の産業・名産品 : 稲作・野菜栽培・矢部茶・日本酒(通潤酒造、陽気酒造)・ゆず製品(ゆずこしょう、ゆずとうがらし、ゆずぽんetc)・巻柿

●矢部町散策 : 矢部と言えば通潤橋。この通潤橋の目の前にある道の駅【通潤橋】がマラソンのスタート地点と共に観光のスタート地点となる。この道の駅には八朔祭で使われた大造り物が飾られ、地元物産品の販売店や通潤橋資料館もある。この大造り物は自然の素材だけで組み上げられており、初めて見るとやはり圧倒される。また、通潤橋資料館では通潤橋が造られた背景やその構造などを知ることができ、先人の情熱にただただ感心するばかりだ。道の駅から歩くこと15分、長い階段を下った先に五郎ヶ滝の雄姿が見れる。思ったより深いこの土地の谷を体感することで昔の人の石橋に対する思いが分かる気がする。
 矢部の町中に目を向けると、こちらにも所々八朔祭大造り物が飾られている。商店街から一本入った通りに200年以上の歴史がある
通潤酒造があり昔の酒造りの道具などを見学でき、利き酒しながらお酒も買い求めることができる。
 周辺の地域に目をやると矢部町に留まらず、そこここにアーチ型の石橋や滝が多く点在する全国的にもずば抜けて石橋が多い地域である。阿蘇の広大な山裾にあたるこの地域は平地が少なく、川流れる谷が深いという特徴がある。周辺から採掘する石橋に使う石が加工しやすい熔結凝灰岩という要因もあり、石橋文化が花開いた。どれも素朴で機能的な美しさが感じられ、周りの自然に溶け込み長い間人々の暮らしを支えてきたと思うと感慨深くなる。この地域を巡る
石橋めぐり滝めぐりもお勧めしたい。また、石工技術を生かし自然の傾斜を崩さないように並んでいる棚田も多い。この時季、刈り取りは終わっているが日本の棚田百選にも選ばれた菅の迫田峰棚田へは帰りにちょっと寄り道する程度で行くことができる。

●矢部町への交通 : 熊本市内から約40km、 福岡市内から約140km車で2時間(九州自動車道利用 御船インターOUT)、 大分から約130km車で3時間(国道)、 鹿児島市内から約190km車で2時間30分(九州自動車道利用)、 熊本空港からバスで2時間~2時間30分【空港→交通センター30分、交通センター →矢部(御船経由矢部行き1時間20分時刻表or砥用経由矢部行き2時間時刻表 計15本/日)】
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熊日通潤橋マラソンの紹介


●コース概要 : スタートは 【道の駅通潤橋】 となっている。矢部の町中を走った後は、阿蘇の方角へ進んいで行く折り返しコースだ。阿蘇の山裾にあたるので往路はアップダウンを繰り返しながらも上っていくことになる。
 スタート後は矢部の商店が並ぶ通りをぐるりと2kmほど走る。町を離れると早速坂が始まり、4km付近にややきつい上り坂が数百m続きすぐ下る。ここを越えると阿蘇氏大宮司が居た『浜の館』があった”城の平”地区だ。コースの右手になるが、今は田畑が広がり面影は残っていない。折り返しとなる下名連石までは緩やかにのぼりが続く感じになる。民家と田畑がポツポツと続く静かなところだ。しかし道路わきには住民が手入れしているのであろう花が多く見られ、ほのぼのとしたのどかな感じを出している。
 復路は何回か上りもあるが、総じてゆっくりと矢部町に向かって下っていくので疲労のたまった足には助かる。最後は再び矢部町の中心を走るので応援もあり気持ちよくゴールできるだろう。

●大会の生い立ち : 昭和47年、矢部走ろう会が発足した。矢部町で皆が楽しめるマラソン大会を開こうと動き始めた。第一回目は10km・20kmで127名の参加者だった。山間に位置する矢部町は平地が少ない地域でありマラソンに適した道も限られ、警察から国道の使用許可も下りずにコース作りは試行錯誤したようだ。参加費だけでは十分満足のいく大会にできないので寄付を募るため矢部走ろう会は町中を走り回った。ラッキー賞用には町民が愛情込めて栽培された農産品などが提供され、提供してくれた人の名前も同封したという、とてもアットホームな大会になった。会場には町民が一つ一つ丁寧に作ったにぎりめしも出された。矢部走ろう会による運営は10回大会まで続いき、その後矢部町役場があとを引き継いだ。
 この大会には始まった当初から3つの誓いがある。*昼食は山菜弁当*全員のタイムは当日中に配布する*ラッキー賞には手を抜かない、の3つだ。自ら走る人達が考え悩みながら作られてきた大会であるため、心から皆が楽しめる大会にしようとの思いが伝わってくる。その思いは現在にも引き継がれ、町民総出のもてなしが受けられる山里のマラソン大会と言える。

●温泉・銭湯 : ◆国民宿舎通潤山荘(浜の湯温泉) 入浴400円、会場の道の駅から歩いても行ける。

●エイドステーション : 水・スポーツドリンク

●2003年大会記録
参加人数 20km: 717名 

20km

総合順位

男性

女性

1位

1:06:27

1:19:58

2位

1:06:30

1:25:41

3位

1:06:40

1:26:12

コース景観
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