日本最西端
 与那国島一周マラソン

毎年11月開催

【与那国島一周マラソン 公式HP】 【記録】
大会開催要項 (ランナーズHP大会ガイド)
与那国島観光案内 (与那国町商工観光課HP)
    〃     見・歩・食・泊情報(美ら島物語HP)

与那国島の紹介

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 IMG_1856.jpg IMG_1714.jpg   与那国島
        ~ 牛馬は草を食み、蝶が舞う、古き歌と踊りが伝承される最果ての島  ~

●与那国島の歴史 : 琉球王府の統制下に入る15世紀より以前、サンアイイソバという女傑が島を守っていた。遺跡の出土品などからは台湾・中国との交易の後もうかがえ、また牛に水田を踏ませ稲を耕作する稲作文化も定着し米の自給が行われており島民は厳しい自然ながら独自の自立した自由な生活を確立していた。その後琉球国中山の配下になると入貢が始まり、17世紀に琉球が薩摩藩の支配下に置かれてからは薩摩藩への入貢も含めた人頭税が導入され島民の生活は急激に苦しいものになっていった。当時の生産性から試算したところ税率80%との数字もあるとても過酷なものだった。行政統治するため石垣・宮古には配置していた頭職は遠方で島が小さかったためか与那国島には頭候補が置かれた程度で特別行政区といった位置づけだった。入貢以外は中央政府の統制力は石垣・宮古よりは薄かったと思われる。大正から昭和にかけては台湾との交易も賑わい、人頭税も廃止され島民の生活は次第に安定してきた。長年の念願だった牛の伝染病を媒介するオウシマダニの根絶も平成に入って実現され牛の出荷も自由になり、ダイビングに代表される観光業と合わせ現在与那国島は発展の時代を迎えている。
●与那国島の産業・名産品 : カジキまぐろ、肉牛、さとうきび、与那国織、泡盛(どなん・与那国島・まいふな)、長命草(お茶・そば)、
●与那国島散策 : 島内の人口は約1800人と多くはないため主要な3つの集落の祖内・久部良・比川も各々こじんまりとして静かなたたずまいだ。その中でも祖内が島内で最も大きな集落で民族資料館伝統工芸館があり昔の島民の生活や与那国織の様子が見学できる。どなん・与那国島・まいふな3つの泡盛酒造所も祖内にあり見学させてもらえ、酒好きの方には泡盛の香りを嗅ぐだけでも価値がある。100万年前の活発な地殻変動で誕生した小さな島であるが中央部には山がそびえ海岸線は琉球石灰岩や石灰質砂岩の侵食により飽きの来ない変化にとんだ景観を見せてくれる。特に東崎(あがりざき)から比川にかけての南東側の断崖絶壁、南西側の溶岩にも似た琉球石灰岩が所々顔を出す海岸線が目を楽しませる。そして最西端の碑が立つ西崎(いりざき)での夕日は必見だ。晴れていれば台湾の大地に沈む夕日が見れるが雲がかかっていることがほとんどで冬場の風の強い日なら時々見えると言う。それでも澄んだ空気の中オレンジ色に焼ける空を眺めるだけでも最果ての島に来たことを感じさせてくれる場所である。
 うれしいことに年に何回か行われる
闘牛も大会前日に行われる。牛のようで牛でなし、怪獣にも見える迫力満点の闘牛を見てアドレナリンを分泌させよう。
●与那国島への交通 : 沖縄那覇空港から飛行機で1時間30分(水・金・日 3便/週)、石垣空港から飛行機で30分(2便/日)、石垣港フェリーターミナルからフェリーで4時間(2便/週)
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与那国島一周マラソンの紹介


●コース概要 : コースは島内を一周し主要な3つの集落全てを通過する。全体的に海岸線が険しい与那国なので海のすぐ側を走るというよりは海岸線から立ち上がった展望のよい高台の上を走るような感じだ。祖内の中学校をスタートし、その昔遠見番所が置かれていた東崎のタディクチディの台地(タディクチディヒル)までは約2kmひたすら上り坂が続く。その途中の止まってしまいそうな急坂を上りきった所で振り返ると祖内の集落を一望でき、タディクチディヒルでは270度の海を見渡せる。東牧場が広がり、牛や与那国馬が草を食んでいる島一番ののどかな風景だが、右手にはこの先走らなければならないアップダウンの激しいうねった道も見えてしまう。さらにここから10km地点付近までは数百mのアップダウンを何回も繰り返しながら高度を上げてゆく。島最高峰の宇良部岳(231m)の南側裾野を走るためやや背の高い木々が道路脇に茂り民家などは一切ないが、声援を絶やさないようにと車で駆けつけてくれた島民が応援してくれる。10km付近右手には田畑が続く島中央の平野が広がり、ここには女傑サンアイイソバが生誕したと言われる島仲集落がその昔存在していた。そしてスタートから苦しみながら上ってきた台地だが比川集落に向け一気に下る。比川から久部良、久部良から祖内に向かう道もこれまで程ではないがアップダウンが続く。空港付近が唯一の平坦な道で島を一周してきたランナーはここに空港ができたことに納得するはずだ。最後は祖内で精一杯の声援を受けゴールとなる。このコースはハーフに毛が生えた程度との感覚では最後に失速することになる。35kmぐらいの距離のイメージで走る必要がある、健脚のランナーでも走り応えのある厳しいコースだ。最果ての地で走っていることを噛みしめ、潮の香り、森の香り、牛馬の香りを思う存分楽しみたい。

●大会の生い立ち : 平成5年、その当時10名程の少人数だった与那国島の走遊会が島一周のマラソン大会を立ち上げた。初回ながら参加人数は100名を越えた。翌年の第2回大会からは地域振興に貢献する大会運営を目指し、町長を大会会長にし与那国町役場が運営全般を行うようになった。ジョギングブームとも相まって島内のジョギング愛好者も増えてきたと言う。島民が1800名余の中、24kmとはいえ大会を支えてくれるボランティアの捻出は大変なようだ。役場職員が総動員の上、エイドは主に島内の中学生の協力を仰ぎ、ゴール後のふれあいパーティーは婦人会の方々がてきぱきと切り盛りしている。エイドには24kmコースとしては比較的豪華な品揃え、参加賞には島内の泡盛を差し出し、会場には温水のシャワー設備を臨時に設置したりと申し訳ないくらいのもてなしをしてくれている。こうなると当然参加費用のみでは赤字となり厳しい町の予算から補填して開催していると言う。エイドのはしゃぎながらも一生懸命な中学生や会場の元気なご婦人方の動きが印象的な大会だ。

●エイドステーション : 水・スポーツドリンク・コーラ・バナナ・レモン・梅干・黒糖・塩・スポンジ

●2004年大会記録
参加人数 24km:157名

24km島一周

総合順位

男性

女性

1位

1:28:31

2:04:29

2位

1:33:37

2:13:31

3位

1:35:27

2:20:37

4位

1:36:10

2:30:34

5位

1:36:17

2:35:12

6位

1:36:53

2:39:29

7位

1:37:25

2:40:46

8位

1:37:44

2:45:46

9位

1:37:55

2:50:13

10位

1:38:38

2:50:57


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